母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児②

出産後退院まで義母は仕事が忙しいからと一日も来ませんでした。

 

退院は翌週土曜日。9日間も入院させてもらうことができました。

他の方のお産が詰まっていなかったせいか、

退院の日にちを少し遅めにしてもいいよと 婦長さんが言ってくれたおかげです。

婦長さんは 私の置かれている状況を把握していたので、いろいろ配慮してくれたのだと思います。

正直体の痛みがかなり残っていて

退院当日の段階でも足を引きずりながら歩く状態だったので

(下腹部から内臓が落ちていくような感覚と縫合の痛み)

入院期間が長かったことは本当に助かりました。

 

その日も主人は仕事で来ることが出来なかったので

朝食を食べた後、一人で退院の準備をしなければなりませんでした。

 

しばらくすると義父母が病院に迎えに来ました。

 

義母が赤ん坊を抱き、義父が荷物を持ち

ナースセンターでお礼を言った後、近くのエレベーターへと向かいます。

1Fについてドアが開くと

 

スタスタスタ

 

二人は後ろを振り返ることなく 普通の速度で前へ進みます。

孫を眺めながら何か話しているのでしょう。

 

 

私は痛みでよろよろとしか歩けないため 

あっという間に30メートル位の距離があいてしまいました。

 

しばらくして 義父が振り返りました。

そして義母に声を掛けていたように見えたのですが(実際はわからない)

義母はそのまま止まることなく車へと向かい

義父は10秒くらい立ち止まってくれていたのですが

私が追いつく少し手前で

またスタスタ歩き始めました。

 

 

 

本当に私のことなんて

     どうでもいいんだなあ。

 

 

 

私の母は

何故か私が小さいころから

私が子供を産んだら という話をする人で(今だと セクハラ?マタハラ?)

特に私の手のひらのアトピーが酷いことを心配し

「こんなんじゃ おむつが洗えんの~。

 子供産んだら おむつ用の洗濯機別に買わなあかんの~」

と何度も何度も言っていました。

 

女であること=子供を産む みたいな時代で短絡的だとは思いますが

孫を、 自分の血を引く存在を楽しみにしていたと同時に

(単純に新生児をもう一度抱きたかったのかなとも思える)

手助けしなければという責任感のようなものが強かったんだろうと

今なら 容易に理解することが出来るのです。

 

 

この後10年ほど

私は 実は母が生きていたという夢を見ます。

その度に泣きながら 私は訴えるのです。

「私子供産んだんやよ。これが私の子やよ」。

 

 

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