母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児⑥

溜まった母乳を出すよう努めたおかげか

翌朝には熱が引きました。

主人や義両親に仕事を休ませずにすんだので、

ほっとしたのを覚えています。

 

 

ただ肌荒れのため、どうにも授乳が出来なくなり

搾乳して哺乳瓶で飲ませることにしました。

…搾乳も当時の自分には体力的に厳しく

ますます追い詰められていきます。

布おむつ、わたのおしりふき、搾乳、哺乳瓶の洗浄準備

本当は寝た切りで痛いくらいなのに

辛い辛い辛い…。

 

お母さんが生きていてくれたら

お母さんが生きていてくれたら

 

 

哺乳瓶をあらっていると

義母が言いました。

「母乳はただ(無料)なんだから やめたらあかんよ。」

 

因みに義母は完全ミルクです。

母乳育児だったら何を言われたかと思うとゾッとしました。

 

 

 

ある日

布おむつを付け置きしていたバケツに、

私が粉洗剤を入れ過ぎてしまうという

事件が起こります。

疲れで

手が震えていたせいでした。

 

帰ってきた義母は

地団太を踏んで怒りました。

(本当に地団太を踏んでいた)

義母も疲れがピークになっていたのでしょう。

 

 

 

私はとうとう我慢できなくなり

主人に

「もう布おむつは無理!。

 わたのおしりふきも使いたくない!。

 紙おむつとおしりふき買ってきて!!!

 体が辛いの!!!!」

と懇願しました。

 

なんと

 

 

いざそれらを使用しても

義母は何も言いませんでした。

ゴミは増えることになったけれども

自分が 楽になったからでしょう。

 

 

私は、ほとほと振り回されるのが嫌になり

このまま義実家にいても

何もメリットが無いと悟り

産後2週間で

私たちの夫婦宅に戻ることにしました。