母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児⑦

私たち夫婦は、産後2週間で

主人の現場近くに借りている

賃貸アパートへと戻りました。

 

食事はお弁当、

洗濯や掃除は私がしなくてはいけませんでしたが

義実家にいるときよりは

細切れながら

格段に眠れるようになり

少しずつ

体調が回復していきました。

 

主人がずっと近く(現場)におり’

既に携帯電話も使用していたため

何かあったらすぐに来てくれるという安心感が

心と体に影響したのでしょう。

つくづく義実家を早めに出て

正解だったと実感しました。

 

 

 

 

 

とはいえ

この長男、

なかなか難易度の高い赤ん坊でした。

 

いわゆる布団で寝ないタイプ(あるある)。

寝たと思っても下におろした途端起きてしまいます。

ひたすらだっこや

ハンギングチェアーを

揺らす時間が長くなっていきました。

 

そして

泣く、泣く、泣く、泣く、ずっと泣く…。

いつまでも泣くタイプの赤ん坊でした。

すでにおみつかぶれも始まっており

やはりアトピーなのかと

落ち込んでしまいました。

かゆいのもあって

泣いていたのかもしれません。

 

 

それでも

義実家での育児が

恐怖90% かわいさ10%だとしたら

ここでの育児は

恐怖50% かわいさ50%位には

変化していたと思います。

ただ

出血(産後の悪露)の減る様子が全く無く

いつまでも

めまいが続いていたのは不安でした。

よく育児日誌をつけるお母さんなどいらっしゃいますが

私はそこまでする余裕が

全く無く

ダメな母親だと情けなく思ったりしていました。

 

 

 

今だから笑えるのですが

私はこの頃

おむつ替えの際、

暴れる長男と格闘しながらも

もう数か月もすれば

おむつ替えを理解して

おとなしくするようになるのだと

信じて疑っていませんでした。

5ヶ月もすればサルから人間に変わるのだと。

犬や猫でさえ

決まったところで排泄するじゃないか。

今は大変だけど

もう少しすれば私も楽になるのだと。

 

多分、それこそ母親が生きていれば

  「そんなことはありえない。

   ここから

   さらに地獄が始まるのだ」

と 教えてもらえていたことでしょう(苦笑)。

 

 

 

悪戦苦闘しながらも

2か月の月日が流れます。

 

さわやかな日差しが増えてきた4月末、

長野への転勤の話が舞い込んできました。

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  空が青くきれいだった。

  中秋の名月が眩しく、美しかった。

  職場の新人さんと仲良くなれたような気がする