母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児⑧

当時住んでいた私たちの郷里から

長野は高速を使って

5時間位かかる所でした。

 

主人の支店異動は

就職してから初めてです。

今まで郷里付近での

現場ばかりだったので

なぜよりによって

この時期に…

と私は戸惑いを隠せませんでした。

 

とはいえ

母親を亡くして

ろくに頼れる人もいないこの状況では

どこに住んでいても

たいして変わり映えもないのだし

引っ越しを受け入れるしかありません。

 

 

以前にもお話ししましたが

私の友達で

同じように

ご主人が建設系の会社に

勤めている子がいました。

彼女は出産まで

夫婦で関東に住んでいたのですが

里帰り出産で実家に帰ってから

二度と関東に戻ることなく

ご主人はそのまま

二人(もともと高校の同級生)の実家近辺に

転職してしまいます。

 

それは長男が2歳くらいの時に

聞いた話でしたが

本当に羨ましくて仕方ありませんでした。

 

 

建設関係の仕事は

現場単位で異動するので

家族はなかなか大変です。

転職までは無いにしても

奥さんは実家で子育て、

旦那さんだけ単身赴任という話は

20年前でも

よく聞きました。

因みに私たちはその後

現在の家を建てるまで

6年間

ほぼ毎年引っ越しすることになります。

 

ところで

私たちの長野への異動ですが

これは後から

主人自ら

希望したものであることが判明します。

私と義実家のトラブルを防ぐため

私に相談無く

進めた話だったのです。

距離が離れれば

頻繁に義実家に行く必要は無くなり

私にとっても都合がいいと

思っていたのでしょう。

 

そういうわけで

私は産後2か月足らずの体で

引っ越しの荷造りを始めなければなりませんでした。

 

GW過ぎから長野での生活が始まるとのことで

主人が事前に行って

役所に手続きしたり

アパートを探してきました。

その間は私一人で

子育てと引っ越しの準備です。

たかが1DKの住まいだったので

大した荷物も無いだろうと

たかをくくっていたのですが

段ボール箱はそれなりの量になり

積み上げるもの一苦労。

いかに引っ越しというものが

大変かということを

初めて知ることになりました。

 

引っ越し当日は

さすがに義実家が手伝いに来てくれ

床拭きなどをしてくれて

大変助かったのを覚えています。

 

 

今になって思うのですが

 

私、

 

頑張ってました…。

ちょっと、可哀そうなくらいかも。

 

 

 

でも、私みたいな人は

沢山いるんじゃないでしょうか。

 

たまたま当時の私の周りに

同じような人はいなかったけれど

必ずいるはず。

 

震災の時

母親を亡くした中学生の女の子を

TVで見かけましたが

「この子

 子供が出来たら

 私と同じ目に合うんだなあ」

と 思わずにはいられませんでした。

元気でいてくれるといいのですが。

 

 

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  ・庭の花をリビングのテーブルに飾れたこと

  ・子供が楽器を演奏してくれたこと

  ・セブンでキリマンジャロのアイスコーヒーLサイズを

   飲んだこと