母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

結婚して初めての喧嘩~長男0歳

主人の現場は、新居から15分くらいの所です。

主人は携帯、私はPHSでメールを使用していたため、

いつでも連絡がつく状況だったのが

当時の私にとって唯一の支えでした。

 

 

もともと建設業界は残業、土曜祝日出勤は当たり前の業界です。

それに加え、主人の入社した次の年にバブルがはじけ

新人採用を大幅に見送っていたため

現場監督業務は本当に大変だったと思います。

 

主人と同じ会社に就職した

大学時代の部活(アメフト)の知り合いが二人いましたが

先輩は2年目に辞め公務員に、

(親から車を買ってやるから辞めるなと言われたらしいが強行)

高校、大学からの同級生は3年目に離職。

二人とも大学の推薦枠を使って

地元に支店のあるこの会社に就職したのですが

長くは続きませんでした。

 

 

 

辞めないで働き続けたことは

本当に本当に立派だと思います。

長野に来た時点で、主人は就職5年目でした。

 

 

3か月ほど後

結婚してから初めての大きな喧嘩をします。

 

 

主人は就職してから

ゴルフをするようになっていたのですが

(下請けの接待により無料でプレーできる)

当時、唯一の趣味と言っても過言ではありませんでした。

 

当然休みの日しか行くことは出来ないのですが、

それは私にとっても貴重な日曜日が

早朝から丸一日(夕方4時くらい)まで

奪われてしまうということでした。

 

貴重な日曜日。

 ・子供に気を散らすことなく集中して

  買い物と料理ができる。

 ・一人でゆっくり風呂に入れる。

 ・車が使えるので大量の買い出しが出来る。

  (当時、主人は車で出社していたので平日は自転車で用事をこなす)

 ・旦那がいるため、だっこやおむつ替えなどの負担が減る。

 ・できれば短時間でいいから集中して寝たい。

  (平日子供の寝ている時間に一緒に寝ればいいと思うかもしれませんが

   アトピーがあり、掻きだすので安心して眠れない。

   夜泣きも含め慢性寝不足)

 ・話し相手がいるという安心感。

 

 

それまで月一回のゴルフは仕方ないと思い

黙認していましたが、

ある時

月2回目のゴルフを申し出ました。

一日千秋の思いで日曜日を待っている私からすれば

とうてい許すことは出来ませんでした。

 

知らない土地に来て

誰とも話すことなく

いっぱいいっぱいで過ごしているのに

月に2回もゴルフに行くという事は

残り約28日間、一瞬も

気を抜けない状態が続いているという事です。

(多分これが一番辛い)

 

朝の5時からゴルフに行く体力があるなら

育児や家のことを手伝ってくれてもいいのではないか?。

私の体調が悪いことも知っているでしょう?

 

喧嘩をしたのは産後半年頃だったと思いますが

私はまだ出血が続いていました。

その頃は、2週間出血、2週間止まる

という状況で

もはや悪露なのか生理なのかわからない状態です。

育児書では、悪露が止まった後

暫くは出血のない(=生理がこない)状態が続くとされていたので

不安は大きくなるばかりでした。

 

因みに義母との電話の際、社交辞令で

「調子はどう?」

などと聞かれることがあり、

出血について話をすると

「みんなそうなんです!」

と 一蹴されたのを覚えています。

 

産婦人科に行けばよかったのでしょうが

旦那の貴重な休み(代休)は

長男の予防接種か病気の時に使用したかったので

行く気が起こらず、

とはいえ一人では

子連れで診察に行く気力自体が湧かず

(そんな時間があれば横たわりたい)

ただ追われるまま日々を過ごしていました。

 

 

喧嘩の時、主人に言われた言葉は

「そんなに育児が嫌なら出ていけ。

 俺は仕事を辞めて

 隣に長男を載せて

 トラックの運転手でもやる。」

でした。

こんなに泣きっぱなしで

じっとしていない赤ん坊を連れて

トラックの運転手など

出来るはずもありませんが、

育児を

そこまで簡単に考えているという事実が

苦しくて苦しくてたまりませんでした。

 

そもそも主人は

私が出て行ったとしても

自分の親を頼るに決まっています。

頼れる人の有無が

立ち位置をこんなに左右するなんて!!!!。

 

 

 

喧嘩をしたことは覚えているのですが

その後どうなったのか覚えていません。

青く高い空の下、

どこかの敷地の花壇の淵で

ひとりでずっと泣いていたことを

覚えています。

(一人だったという事は、

 その日は休みで、長男を主人におしつけ

 家を飛び出したということですね…)

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  ・息子が昨日と今日、洗い物をしてくれた。