母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

富山での生活~長男1歳

長男が1歳半になったころ、

今度は富山への転勤が決まりました。

しかしそれは

富山の現場が始まる前に

暫く石川県、志賀原発内の現場で

仕事をしてほしいという内容でした。

 

私たちはとりあえず

富山で新居を借りて、

主人は平日、志賀原発付近にある

会社の寮に住むことになりました。

週末は富山に帰りますが、

基本平日は私と長男のみの生活です。

志賀町富山市内は車で2~3時間くらいだったので

平日でも仕事が早く終わった時など、

富山に戻ってきてくれるときもありましたが。

原発は半公共事業だったせいか

 仕事上りが割と早く

 土日も休みが多かった印象があります)

 

 

富山の印象と言えば

重く暗い空と雪です。

 

長野も雪は降っていましたが、

どちらかというと

湿り気の無い軽い雪で、

日中は光に反射して

キラキラと明るい雪景色の印象が強いです。

 

この頃は、長男もやっと人間らしくなってきて

さすがに一日中泣くという事はなく、

おむつもパンツ型になり、

食べるものも大人と同じで良くなって

体力的にかなり楽になってきました。

 

ただアトピーだったため、

長男はちょっとでもイライラすると

頭や顔を掻いてしまいます。

発疹も所々にありました。

また買い物など

絶対おとなしくカートに乗ってくれないので

(乗せていてもすぐ腰を浮かし

 降りようとするのでとても危ない)

いつも目を離すことが出来ませんでした。

 

 

 

 

富山には土地勘が無く

今と違ってナビも無いので

行動範囲はかなり狭いものだったと思います。

たまに近くの公園に行っても

ママだけ付き添いというパターンが

殆ど無く

おばあちゃんとママと子供というパターンが

殆どだったというのが

とても印象的でした。

この状況は

新参ママにとって本当に厳しく

いよいよ私は平日、

店員さんぐらいしか

会話をしないという状況になっていきました。

 

 

年が明けて1月、

長男が2歳になる少し前、

私は次男を妊娠します。

 

 

【今日うれしかったこと】

  ・子供が夜ご飯に焼きそばをつくってくれた。

  ・パイナップル丸ごと1つが200円だった。