母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

婿取り義母④長男臨月

出産予定日は3月末。

 

産後は義実家にお世話になることになっていたので、

予定日の1ヶ月前から

私は義実家(義両親と当時まだ健在だった義祖母)に泊まり込むことになりました。

主人の仕事現場(私たちの居住アパート)は、

義実家から車で1時間半ほどの所だったので

主人が義実家に戻るのは ほぼ週末だけで 完全アウェイ。

内心不安でたまりませんでしたが 他に選択肢も無く

こんな風に考える私の性格が悪いんだと

自分の思いをねじ臥せるようにしていました。

 

義両親は共働きの上

毎朝二人で新聞配達もしていました。

この新聞配達は 主人が大学生になった当初始めたものでしたが

嫌になって辞めるとなった段に 義両親が受け継いだもので、

8年ほど続いていました。

 

また 義母は日中 ゴミを回収する清掃業の会社に勤めていて

ゴミの捨て方に 細かい人でした。

いまでいうSDGsなのかもしれませんが 

食品トレーや 焼き鳥のくしなどの使いまわし

食器用洗剤に水を入れ 増量して使用

風呂水は 2,3日使いまわし(私は怖くてシャワーしか使えない)

といった状況です。

 

働き者の上、 倹約家なのは とても立派なことですが

正直 居心地が良いものではありませんでした。

 

義母は 両方の仕事を

私が出産した後も 休むつもりはありませんでした。

日中の仕事のほうは

年度末のため忙しくて 休めない  

とのこと。

 

 

このタイミングで妊娠したのは

私のせいではない。

…寧ろ 主人のせいだろう 

とやるせない気持ちになったのを覚えています。

  (夫婦同意の上の行為ではないか言われるのは承知の上ですが

   下の子の妊娠も 計画的ではなく。

   主人は避妊を全くしない人で 私も強くお願いすることが出来ない性格でした。

   6年後(長男5歳、次男2歳)くらいでしょうか。

   主人が大学時代の友達と 

   子供の話をしているとき(友人は 第2子が生まれたばかり位のタイミング)

   100発100中と笑いあったそうです。

   私は 二回とも 産前産後

   本当に 惨めな思いをしていたので

   話を聞いた時 とても不愉快な気持ちになりました。) 

 

 

私は臨月 毎朝 朝食の準備を手伝い

朝食の後始末と 家族の洗濯や掃除を毎日しました。

日中は 義祖母とテレビや話をして過ごし

義母が 帰ってくる前におふろを済ませ

夕飯の準備 後始末を手伝うなどして

日々 過ごしていました。

夕飯は 私が作ると 言い出しても良かったのですが

余りにも倹約化のため 予算の範囲もわからず

むやみに 手を出さない方が 賢明だろうとの判断に至りました。

 

 

長男は3700gを超え

お腹の中でよく足を蹴ったのですが

かかとの形が 腹部から 浮き上がるほどで

触ると 固く(当たり前ですが)

胃を 圧迫する力も とても強かったので

ちょっと歩くだけでも

大変だったのを覚えています。

 

因みに 義母は妊娠時

お腹が大きくならないという

珍しいタイプの人で

主人は 生まれた時 2000gちょっとの赤ちゃんだったらしいです。

 

余りにも私と違いすぎで

妊娠、出産に対して

とてもとても大きな齟齬が生じていたのは

否めない状況でした。