2021-01-01から1年間の記事一覧
この会社の借り上げマンションには1年ほど住んだのち、 別のアパートに引っ越すことになります。 理由は主に 私が他の社員さんの目を気にするようになってしまったことでした。 引っ越しを決める数か月前、 洗濯機の排水口を詰まらせてしまい あろうことか…
次男を出産した年は、正月に帰省をしませんでした。 確か地元に大雪が降ったのを言い訳にしたと思います。 ほぼワンオペでの二人育児は本当に大変で この時期もほとんど記憶がありません。 面白いのは、子供の成長に対する感覚が全く変わってしまったことで…
義父が地元に戻り、主人は日中仕事、 私と子供たちは、義母と日中過ごすことになりました。 この時期の記憶もあまり定かではありません。 あのようなことがあったにもかかわらず 一応私と義母は あたりさわりのない会話をしていたと思います。 ただいくつか…
突然義父が 私たちがいた部屋に大声で怒鳴り込んできました。 「お母さん(義母)が せっかくこんなにやってくれているのに 何を文句ばっかり言ってるんや!!!」 義母が脇で義父を止めようとしているのが目に入りました。 「そんなことを言うんやったら 俺…
義父母が主人と産院へやってきて 開口一番 「汚い病院やの」 …申し訳ございません。 世間話を少ししたあと主人と長男 義父母は私たちのマンションへと戻っていきました。 自分の家なのに 気分はアウェーだなあ と苦笑。 箱ものの問題ではなく 中にいる人間が…
9月初頭 朝早く、陣痛が始まりました。 まず私が最初にしたこと、 それは 冷蔵庫の掃除 家じゅうの掃除機かけ、 床の水ふきでした。 出産後、義父母がやって来るからです。 またいつものフレーズが 私の頭を駆け巡ります。 母親が生きていてくれたら 母親が…
居留守だったのか…。 長男の姿を見て、私は全てを察しました。 インターホンをならすたび長男は 奥の部屋で口を封じられていたのでしょう。 (昼間、部屋を何回訪れても物音は聞こえなかった)。 もし、鍵屋に開けてもらわなかったら 私は何時まで 家を閉め…
お昼の12時ごろ、主人と子供を家に置いて、 私は久しぶりに一人で夕飯の買い物に行きました。 臨月なので自転車などはもちろん乗れません。 歩いて駅周辺のスーパーへ行って 1時間ほど経ったでしょうか。 家に帰ってドアを開けようとすると 鍵がかかって…
主人がお盆に帰省の提案をしてきたのは 臨月に入ったばかりの頃でした。 いつ生まれてもおかしくないのに、 なぜ義実家に行かなくてはならないのか?。 急に産気づいたらどうするつもりなのか?。 やはり主人は何も考えていないのです。 義実家にいって 余計…
今思うと 主人は 義実家とのいざこざを恐れていただけでなく 主人自身が 一人になりたかったのだろうと思えます。 疲れて帰ってくるたび 文句ばかりの妻がいたら 確かに心が休まるはずがありません。 頼れる実家のない私と結婚したことを 後悔しているように…
引っ越してきた社員(家族)寮は、 駅から徒歩5分ほどの好立地に立つ 4階建てのマンションでした。 実は、私は新卒の時、 地元で あるメーカーの孫会社に入社したにもかかわらず 不景気で業績が悪くなってしまったため 親会社のある関東圏に 逆出向させら…
やっとつわりが治まりはじめた3月、 長男は2歳になりました。 当日は二人きりだったのでしょうか。 それとも週末にずらして 主人と3人で何かしたのか。 お祝いをしなかったはずはないのですが 正直、記憶がありません。 昨今、記録に残すことが容易な時代…
主人が志賀原発(石川県能登地方)勤務のため 平日は 富山で長男と二人きりの生活をしている最中に 妊娠してしまいました。 正直な話 長男の時と同じく 予期しない妊娠でした。 まず最初に思ったのは 二度と 義実家の世話にはなりたくない!!!! という事で…
長男が1歳半になったころ、 今度は富山への転勤が決まりました。 しかしそれは 富山の現場が始まる前に 暫く石川県、志賀原発内の現場で 仕事をしてほしいという内容でした。 私たちはとりあえず 富山で新居を借りて、 主人は平日、志賀原発付近にある 会社…
今、私の働いている派遣の職場に57歳の女性がいます。 彼女は仕事上のパートナーで、お昼ご飯を一緒に食べています。 彼女は男の子と女の子のお子さんがいて 多分上の子(長男)は30歳くらいなのだろうと推測します。 長男さんは 高校2年の終わり頃、中…
長男が1歳になる少し前、 主人は自宅から近い現場が終わり 今度は車で1時間半ほどかかる現場に 異動になりました。 出勤が早くなり、帰るのも毎日10時以降です。 こうなると 評価されるのは主人の方で 私が辛い思いをしているという事実は わがまま以外…
主人の現場は、新居から15分くらいの所です。 主人は携帯、私はPHSでメールを使用していたため、 いつでも連絡がつく状況だったのが 当時の私にとって唯一の支えでした。 もともと建設業界は残業、土曜祝日出勤は当たり前の業界です。 それに加え、主人の…
長野の生活で まず思い浮かぶのは 高く青く澄んだ夏の空と 深夜暗闇の中浮かぶTV画面 エンドレス ”おかあさんといっしょ”(録画)でしょうか。 長男は 泣く、暴れる、寝ない 三拍子そろった赤ん坊でした。 昼も夜もぐっすり眠ることはなく 寝ているように見…
当時住んでいた私たちの郷里から 長野は高速を使って 5時間位かかる所でした。 主人の支店異動は 就職してから初めてです。 今まで郷里付近での 現場ばかりだったので なぜよりによって この時期に… と私は戸惑いを隠せませんでした。 とはいえ 母親を亡く…
私たち夫婦は、産後2週間で 主人の現場近くに借りている 賃貸アパートへと戻りました。 食事はお弁当、 洗濯や掃除は私がしなくてはいけませんでしたが 義実家にいるときよりは 細切れながら 格段に眠れるようになり 少しずつ 体調が回復していきました。 主…
長男出産を振り返ってまいりましたが 余りにも暗い内容が続いているので 現況の報告でもしようかと思います。 長男は慶応義塾大学を卒業し、 就職2年目で地方配属中。 田舎気質の優しい方々に 色々助けて頂いているみたいで 親としては感謝しきりなのですが …
溜まった母乳を出すよう努めたおかげか 翌朝には熱が引きました。 主人や義両親に仕事を休ませずにすんだので、 ほっとしたのを覚えています。 ただ肌荒れのため、どうにも授乳が出来なくなり 搾乳して哺乳瓶で飲ませることにしました。 …搾乳も当時の自分に…
退院後数日たつと、義母がイライラし始めました。 子供が産まれる前と生活自体は変わっていないのですが 洗濯の量など家事が増えたのが原因でしょう。 なんだかんだ言って産前は私が洗濯をしていたし、 夕飯も準備と後始末を毎日手伝っていたので 家事の負担…
義実家での1日目。夕方になって、やっと主人が仕事から帰ってきました。 退院してから半日余り、 慣れない布おむつと綿(わた)のおしりふきを使った作業が私を苦しめていました。 (綿(わた)を引き裂いて何個手作りしても あっという間になくなってしまう…
産後の痛みと疲れがとれないまま、義実家での育児が始まります。 結果から言うと ・義母は年度末で仕事が忙しいと一日も仕事を休みまなかった。 つまり子供のお世話は完全に私一人。 家事が大変だったせいか、夜も全く手伝ってもらえない (これは仕方ないで…
出産後退院まで義母は仕事が忙しいからと一日も来ませんでした。 退院は翌週土曜日。9日間も入院させてもらうことができました。 他の方のお産が詰まっていなかったせいか、 退院の日にちを少し遅めにしてもいいよと 婦長さんが言ってくれたおかげです。 婦…
私にとって 子供を産むという事は ドラマや漫画、小説によって想像していたものとは全く違うものでした。 ・私は陣痛に間隔が無かった(因みに次男も)。 ・破水の感覚が分からなかった(二日目午後あたりから続く大量の出血ため?)。 ・嘔吐あり。 ・出産…
土曜夜八時半ころ やっと子宮口が全開になり 分娩室に運ばれることとなりました。 「赤ちゃんはお父さんが来るのをまってたんやの」 と看護婦さんが声をかけてくれます。 大学病院だったためか、 基本方針が自然分娩で 陣痛促進剤を使わないことは了承済でし…
ただただ 寂しいのです。 約25年前から続く孤独感は そのままです。 母親の死という経験は 共感の限界という大きくて高い壁を 嫌というほど認識させるものでした。 人が分かり合うことは不可能。 仮に同じ経験をしていたとしても 環境が変われば状況も違っ…
木曜夜に入院した私は、一睡もせずに朝を迎えることになりました。 翌日金曜 主人が仕事を休んで朝から病院に付き添ってくれました。 私は午後を過ぎたあたりから、 痛みが増していき 出血も増えていきます。 ただ想像と違っていたのは 陣痛の間隔が全く無く…