母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児①

私にとって 子供を産むという事は

ドラマや漫画、小説によって想像していたものとは全く違うものでした。

 

  ・私は陣痛に間隔が無かった(因みに次男も)。

  ・破水の感覚が分からなかった(二日目午後あたりから続く大量の出血ため?)。

  ・嘔吐あり。

  ・出産が終わっても腹痛と縫合の痛み、興奮状態で眠れない

     → 全く体調が戻らないまま退院。

  ・出産で 痔になった。

 

 

病院は母子同室で 母親が子供のお世話をするシステムで

ゆっくり休むことはできません。

幸い 土曜夜の出産だったため、日曜は主人にも手伝ってもらえました。

私は会陰切開の痛みが本当に酷くて座ることもままならず

看護婦さんに相談したところ 

「少し 痔になってるかもね」

と ドーナツ型のクッションを貸していただきました。

出産で痔になることは結構あると聞いて驚いたのを覚えています。

主人の祖母が痔で3回も手術したと言っていたので

私も癖になってしまうのではないかと怖かったのですが

幸いすぐに治って 次男の時にも再発せず本当に良かったです。

 

というわけで 下腹部の引っ張られるような痛みと会陰切開と痔によって

当然ながら歩くことも困難で トイレまでの20メートルを5分ほどかけないといけませんでした。

日曜は主人がいてくれたので車いすを使用できたのですが、次の日からは歩かなければならず、つらくでしょうがありませんでした。

 

また悪露がひどかったため

(産後4日目位に体重を図ったら8キロ減っていました。

 このうちどれくらいが出血なのか…)

汚れた下着を何回も洗わなけれなばならず、

 ーーーこれは わたしが義母に自分でやると言いました。

    他の洗濯物は義実家で洗ってもらいました。

この事実も なかなか私の心を深く傷つけるものでした。

 

ちなみに入院中は

主人が仕事帰りに寄るくらいでで

義母も全く来ませんでした。

 

陣痛時に一緒にいたのが本当に苦痛だったので

来ないでくれてよかったのですが(特に何かしてほしいことがあるわけではない)

本来甘えん坊の私なので

もし母が生きていたら 「あれ取って」「これ買ってきて」

と色々頼んでいたと思います。

それでなくても

母が生きていれば どれくらい喜んでくれたかと考えるだけでも

苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。

 

 

幸いだったのは

4人部屋なのに 産婦さんが私しかいなかったということ。

もし他の経産婦さんがいて 母娘で過ごしている姿など見たら

大変落ち込んでいたでしょう。

民間に比べて設備や待遇が整っているとは言い難い大学病院であるが故の

状況だったと言えるかもしれません。

 

とはいえ正直

子を産んだ喜びよりも

暗い気持ちが私を覆っている中

3日目ごろ どうにも耐え切れず 重い体を引きずりながら 

母が亡くなった3F内科の病棟を訪れ

遠くから病室を見て ひたすら 泣いていたのを覚えています。 

 

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