母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児⓹

退院後数日たつと、義母がイライラし始めました。

 

子供が産まれる前と生活自体は変わっていないのですが

洗濯の量など家事が増えたのが原因でしょう。

 

なんだかんだ言って産前は私が洗濯をしていたし、

夕飯も準備と後始末を毎日手伝っていたので

家事の負担はそこまで重くなかったはずです。

(他人が一緒に住むのだから気疲れはあったでしょうが)

 

それを完全に自分一人でやらなければならない上、

毎朝の新聞配達(朝5時に出勤)を休まないのですから

疲れてイライラするのは当たり前でした。

また義母自身が強要した布おむつが自分自身の首を絞めていたことは

想像に難くありません。

殆どがだったので手洗い必須です。

私にとっても布おむつでのお世話は苦行でしかなかったので

Win-WinならぬLose-Loseの状況でした。

 

今振り返ると本当に

馬鹿らしいほど非効率的です。

義母自身は婿養子取りで共稼ぎ。

子育てや家事は全て自分の母親まかせだったため

自分一人だけで家事をまかなう大変さをわかっていなかったのでしょう。

今回はその母親も82歳を過ぎ。戦力にならないのですから

疲れるのは当然です。

 

 

さて

授乳のせいで肌の弱い私は

子供の吸う力や授乳前のアルコール除菌ですっかりかぶれて腫れ上がり

血がにじんだり浸出液が出るなど悪化していました。

退院5日目くらいだったか

38度後半の熱が出て、乳腺炎らしきものにかかってしまいます。

らしきもの というのは病院にかかっていないからです。

胸がガチガチに固まっていました。

 

そんなに熱が出て、赤ん坊のお世話はどうしたの?。

 

 

 

…私がやりました。

 

義両親も主人も

仕事に行ってしまいました~。

 

 

そのとき笑ってしまったこと。

 

義母は毎朝 私の分の昼食を作ってから出社していたのですが

(本当に大変だったと思います。

 私も子育て中働いていて、

 夏休みなど昼食の用意をしなければならなかったのは負担でした)

熱が出たその日は

ナポリタンを作ってくれたのです。

「私は熱があるんだからおかゆでいいのに。

 こんな油っこいもの喉を通らない…」

と 思いましたが

気持ち悪さより空腹さ(授乳中はひたすらお腹が減る)が勝ってしまい

すっかり平らげてしまいました。

(因みに夜ご飯はリクエストしておかゆにしてもらいました)

 

 

 

熱がありフラフラでしたが

とにかく胸に残っている余分な母乳を出し切らなければと

胸にティッシュをあてて何回も絞り出します。

孤独感を抱える中、なんとか赤ん坊の世話をするのですが

泣く回数や時間が増えてきて

かつ手足をバタバタさせる力がさらに強くなり

体調は回復するどころか

悪化しているんじゃないかと思えてくるのでした。

 

 

はた目から見たら

産後ぶよぶよの体で 背中をまんまるにして座り込み

ひたすら憂鬱そうな顔をしている私の姿は

とても醜いものだったのではないでしょうか。

 

産後は幸せホルモンが出て

多幸感に包まれるなどと

どこぞの本に書いてあったように思いますが

私は2回とも

大きいお腹からの解放感こそありましたが

そんなものは分泌されませんでした。