母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

孤独な育児④

義実家での1日目。夕方になって、やっと主人が仕事から帰ってきました。

 

退院してから半日余り、

慣れない布おむつと綿(わた)のおしりふきを使った作業が私を苦しめていました。

(綿(わた)を引き裂いて何個手作りしても あっという間になくなってしまう上、

 市販のものと比べると とにかく使いづらい!!!)

早速主人に綿(わた)のおしりふきについて抗議します。

「私はまだ体がしんどいし、子供も動きが激しいからこれは使えない。

 市販のおしりふきを買ってきてほしい。

 布おむつもやめたい。」

 

 

 

 

 

…主人は何もしてくれませんでした。

 

初孫を迎えて喜んでいる両親に、水を差すことが出来なかったのでしょう。

その代わりというか、主人が家にいるとき自身でおむつ替えの作業はしてくれました。

 

せっかく俺の親が面倒見てくれてるのに、

文句ばかり言いやがって

病気じゃないんだから 

それくらいやればいいじゃん

 

そう思っていたのだと思います。

実際約10年後にそう言われました。

 

誰も私の体のことなど心配していませんでしたが

次男の出産も経験しているのではっきり言えます。

 

このときの体調は寝たきりでも当然のレベルでした。

 

次男の産後は 入院中から痛みは残るものの普通に歩くことが出来、体も軽くて

こんなに違うのかと驚いたものです(因みに次男は3480g)。

 

母親が生きていれば、おむつ替えも協力してもらえたのに…。

 

長男は1日15回くらいおむつ替えをしなければいけなかったので

本当に大変でした。

義両親はおむつ替えはやろうともしなかったので、

長男の動作の激しさや力の大きさなど知る由もなく、

私が苦しんでいるなどとは夢にも思っていないようでした。

 

食事や洗濯はしてあげるんだから、それくらいできるでしょう と。

 

会話の中で、

「調子はどう?」

など聞かれることもあったのですが、

「痛い、体が重い、出血(悪露)が多いが減る気配がない」

などと言っても

「みんなそうなんです!!!」

と返されるばかりでした。

 

日にちが経過するも

緊張のせいかやはり熟睡できず、

おむつ替えの疲れからか、意識がもうろうとし始め

手がふるえるようになってきました。

 

私は母乳が大変出るタイプで

ミルクを使わなくてよいと義母は喜んでいたのですが(節約?)

アトピーで肌が弱かったので

退院後3日目には肌が真っ赤に晴れ上がり、

皮膚の浸出液で下着がひっついてしまうという状況に陥ってしまいました。

 

月曜日からは主人も義両親も仕事に行ってしまい、

主人の祖母が別室にいたものの

孤独感は増すばかりで

泣いている赤ん坊の横で

母を想い

さめざめと泣いている自分がいました。