母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

幸せとは何か~現在

今、私の働いている派遣の職場に57歳の女性がいます。

彼女は仕事上のパートナーで、お昼ご飯を一緒に食べています。

 

彼女は男の子と女の子のお子さんがいて

多分上の子(長男)は30歳くらいなのだろうと推測します。

 

長男さんは

高校2年の終わり頃、中退。

大検を受けて、浪人の後(のち)

国立大理系に進学するも

やはり通うことができなくなってしまったとのこと。

しかし大学側のサポートが手厚く、

比較的単位の取りやすいカリキュラムを作成してくれて

(そのため途中休学までした)

なんとか8年ぎりぎりで卒業したそうです。

しかし就職後、やはり長く続かず、

今はおうちにいると話してくれました。

 

長女さんも大学は卒業しているそうです。

しかし、仕事探しに苦戦しているそうで

今年4月頭にパートで働いていた学校職員も

8月には辞めてしまいました。

(事務職として採用されたはずなのに

 用務員として働かされたという認識上のトラブル。

 校長やハローワークを巻きこんで大変だったとか。)

 

私は、こういう話を聞かされるとき

いつもどういう反応をすればいいのか

戸惑ってしまいます。

(私の周りは子供の高校卒業あたりから

 トラブルを抱える人が増えてきた)

 

私が当事者だったら

あまり人に話したい内容ではないような気がするのですが、

あっけらかんと話すこの女性の気持ちが

理解できません(未熟者です)。

同情すればいいのか、

それとも好奇心むき出しで

話を聞けば喜ぶのか。

 

 

…でも案外世の中そんなものなのでしょうか。

私が相手の気持ちを

気にし過ぎなのでしょうか。

 

 

 

家に成人したお子さんが二人いて

なおかつ

家事をしてくれるわけでもなさそうで

(おそるおそる、お子さんに家事してもらったらどうですか  

 と話しましたがスルーでした。

 私は家事=労働だと思っているので

 その分女性自身が楽になるならアリだと思ってます)

大変だなあ と思ったりもするのですが、

その女性は、特に文句や不安はなさそうです。

 

こう言っては何ですが

うちは今のところ

順風満帆で

(長男が新卒1年目に仕事で悩んで

 毎週帰ってきたりしたことがありましたが)

傍から見ると幸せなはずなのに

なぜ こんなに 

私は毎日、孤独感にさいなまれるのだろう…。

その女性と話していて

そう考えてしまいます。

 

その女性宅は、長男さんや長女さんに

色んな問題が立ちはだかった時など、

旦那さん含めて

家族としてのチーム感が形成されていったのでしょうか。

だから文句も不安もないのでしょうか。

 

聞くと旦那さんは

テレビなどの配線系やパソコンのセッティング系など

いわゆる父親の役割的なことは

きちんと果たしてくれる方みたいです。

あと畑を借りて野菜つくりが趣味だとか。

奥さんは車の免許を持っているにも関わらず

車の運転をしない人。

子供が出来るとペーパードライバーでも

一念発起して運転し始める人もいますが、

そこまで至らずにすんだということは

旦那さんに大事にされていた証拠かもしれません。

(子供がいると都内以外はどうしても

 車が必要になる場面が出てきます)

 

私自身といえば

長男が中学1年生の時から

主人が単身赴任だったため

いわゆる父親がやるような仕事も

全てやらなければなりませんでした。 

ちょうどインターネットが普及してきた時期で

学校のシステムやパソコンの周辺機器にかかわる

作業もさらなる重荷となりました。

とにかく相談できる人がいなくて

何もかも一人で立ち舞わなければならず

当時パートもしていたため

本当に大変だったのを覚えています。

(子供には使えない呼ばわりされる)

 

 

しかし

 

自分では頑張ってきたつもりですが

 

もし私の子供が

将来同じ状況になってしまったら

旦那が長年単身赴任という事で

責任は私一人ということになるのでしょう。

そのとき主人や子供は私を責めるでしょうか。

なにより私自身が自分を責めてしまうのではないか。

ふと考えてしまいます。

 

 

昨日終業後、その女性と一緒に帰っていた時

「この時期、日が短くなって

 寒くなってくると

 滅茶苦茶

 落ち込みやすくなるんですよね~。

 そんなことってないですか?」

と尋ねました。

「洗濯の乾き具合は心配するけど

 そんなことないなあ」

とのお返事。

 

 

 

幸せとは

客観的事実だけで判断されるものではなく

主観の問題でもあるのは

周知の事実。

自分の心持を

なんとか軌道修正したいものだと

願わずにはいられない

今日この頃です。

 

 

 

【今日幸せだったこと】

 ・天気が良くて洗濯が良く乾いた

【昨日悲しかったこと】

 ・次男がアトピー治療デュピクセント自己注射に失敗。

  打った方向が悪かったのか

  痛すぎて注射針を抜いてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

2度目の転勤~長男1歳

長男が1歳になる少し前、

主人は自宅から近い現場が終わり

今度は車で1時間半ほどかかる現場に

異動になりました。

出勤が早くなり、帰るのも毎日10時以降です。

 

こうなると

評価されるのは主人の方で

私が辛い思いをしているという事実は

わがまま以外のなにものでもありませんでした。

 

私は追いつめられていきます。

 

母親なのに辛いなどというのは

不謹慎なのか…?。

 

目の前で、

ひたすら泣く、暴れる、

じっとすることのない赤ん坊の世話をしながら

自問自答の日々。

 

主人の仕事の忙しさと

私の孤独な育児は

もともとギリギリの状態でしたが、

現場がさらに遠くなったことで

状況は悪化していきました。

 

 

 

 

一人の時間が

更に長くなり、

夕飯やお風呂も

完全にワンオペで

孤独感は増すばかり。

結婚前からの友達で

同じ時期に出産した友人達に

電話したりもしましたが

皆、実家付近に住んでいるため

私とは境遇が違い過ぎます。

(というかご主人が転勤族でなければ

 田舎は殆ど地元婚)

話をしていても

電話を切った後には

かえって落ち込む始末でした。

 

公園などにも行きますが

他のお母さんに会っても

その場で少し話す程度。

既に輪が出来上がっているようにも感じ、

次に繋がることはありませんでした。

 

 

因みに私の体調といえば

続いていた出血が

授乳をやめると

1月おきに落ち着きました。

結局

出血が止まる時期のないまま

生理が始まったという事になります。

出産で失った血液は

いつ充てんされたのか。

検査したことはありませんが

貧血だったかもしれません。

 

それでもまだ新婚2年目。

なんとかお互い

妥協して頑張っていたと思います。

 

そして

長男が1歳半を過ぎた秋、

今度は富山への転勤が言い渡されたのでした。

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

 ・次男が夜ご飯を作ってくれて洗ってくれた

  (私は出勤日で息子は夏休み)

 ・仕事がそこそこ忙しくて

  時間が経つのが早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚して初めての喧嘩~長男0歳

主人の現場は、新居から15分くらいの所です。

主人は携帯、私はPHSでメールを使用していたため、

いつでも連絡がつく状況だったのが

当時の私にとって唯一の支えでした。

 

 

もともと建設業界は残業、土曜祝日出勤は当たり前の業界です。

それに加え、主人の入社した次の年にバブルがはじけ

新人採用を大幅に見送っていたため

現場監督業務は本当に大変だったと思います。

 

主人と同じ会社に就職した

大学時代の部活(アメフト)の知り合いが二人いましたが

先輩は2年目に辞め公務員に、

(親から車を買ってやるから辞めるなと言われたらしいが強行)

高校、大学からの同級生は3年目に離職。

二人とも大学の推薦枠を使って

地元に支店のあるこの会社に就職したのですが

長くは続きませんでした。

 

 

 

辞めないで働き続けたことは

本当に本当に立派だと思います。

長野に来た時点で、主人は就職5年目でした。

 

 

3か月ほど後

結婚してから初めての大きな喧嘩をします。

 

 

主人は就職してから

ゴルフをするようになっていたのですが

(下請けの接待により無料でプレーできる)

当時、唯一の趣味と言っても過言ではありませんでした。

 

当然休みの日しか行くことは出来ないのですが、

それは私にとっても貴重な日曜日が

早朝から丸一日(夕方4時くらい)まで

奪われてしまうということでした。

 

貴重な日曜日。

 ・子供に気を散らすことなく集中して

  買い物と料理ができる。

 ・一人でゆっくり風呂に入れる。

 ・車が使えるので大量の買い出しが出来る。

  (当時、主人は車で出社していたので平日は自転車で用事をこなす)

 ・旦那がいるため、だっこやおむつ替えなどの負担が減る。

 ・できれば短時間でいいから集中して寝たい。

  (平日子供の寝ている時間に一緒に寝ればいいと思うかもしれませんが

   アトピーがあり、掻きだすので安心して眠れない。

   夜泣きも含め慢性寝不足)

 ・話し相手がいるという安心感。

 

 

それまで月一回のゴルフは仕方ないと思い

黙認していましたが、

ある時

月2回目のゴルフを申し出ました。

一日千秋の思いで日曜日を待っている私からすれば

とうてい許すことは出来ませんでした。

 

知らない土地に来て

誰とも話すことなく

いっぱいいっぱいで過ごしているのに

月に2回もゴルフに行くという事は

残り約28日間、一瞬も

気を抜けない状態が続いているという事です。

(多分これが一番辛い)

 

朝の5時からゴルフに行く体力があるなら

育児や家のことを手伝ってくれてもいいのではないか?。

私の体調が悪いことも知っているでしょう?

 

喧嘩をしたのは産後半年頃だったと思いますが

私はまだ出血が続いていました。

その頃は、2週間出血、2週間止まる

という状況で

もはや悪露なのか生理なのかわからない状態です。

育児書では、悪露が止まった後

暫くは出血のない(=生理がこない)状態が続くとされていたので

不安は大きくなるばかりでした。

 

因みに義母との電話の際、社交辞令で

「調子はどう?」

などと聞かれることがあり、

出血について話をすると

「みんなそうなんです!」

と 一蹴されたのを覚えています。

 

産婦人科に行けばよかったのでしょうが

旦那の貴重な休み(代休)は

長男の予防接種か病気の時に使用したかったので

行く気が起こらず、

とはいえ一人では

子連れで診察に行く気力自体が湧かず

(そんな時間があれば横たわりたい)

ただ追われるまま日々を過ごしていました。

 

 

喧嘩の時、主人に言われた言葉は

「そんなに育児が嫌なら出ていけ。

 俺は仕事を辞めて

 隣に長男を載せて

 トラックの運転手でもやる。」

でした。

こんなに泣きっぱなしで

じっとしていない赤ん坊を連れて

トラックの運転手など

出来るはずもありませんが、

育児を

そこまで簡単に考えているという事実が

苦しくて苦しくてたまりませんでした。

 

そもそも主人は

私が出て行ったとしても

自分の親を頼るに決まっています。

頼れる人の有無が

立ち位置をこんなに左右するなんて!!!!。

 

 

 

喧嘩をしたことは覚えているのですが

その後どうなったのか覚えていません。

青く高い空の下、

どこかの敷地の花壇の淵で

ひとりでずっと泣いていたことを

覚えています。

(一人だったという事は、

 その日は休みで、長男を主人におしつけ

 家を飛び出したということですね…)

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  ・息子が昨日と今日、洗い物をしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての転勤~長男0歳

長野の生活で

まず思い浮かぶのは

 

高く青く澄んだ夏の空と

深夜暗闇の中浮かぶTV画面

エンドレス ”おかあさんといっしょ”(録画)でしょうか。

 

 

長男は

泣く、暴れる、寝ない

三拍子そろった赤ん坊でした。

 

昼も夜もぐっすり眠ることはなく

寝ているように見えている時間も

途中アトピーのせいで

顔や頭を掻くので

手をはがしたりトントンしたりしなければなりません。

夜泣きの時はひたすら

立ってゆらゆらだっこ。

覚醒してしまったときは

撮りためておいた

おかあさんといっしょ

何回も何回も見せました。

私は傍らで長男が危ないことをしないかと

薄目を開け、確認し続けます。

寝ているのか寝ていないのか

自分でもわからない毎日が続いていました。

 

とにかくじっとすることが無く

常にほぼ動いている赤ん坊で

買い物時に使う赤ちゃん用カートでは

前に向かってよじ登ろうとする、

調理中など台所に入らないよう

ガード柵を立てかければ

やはり登ろうとして倒してしまう

(かえって危ないので使用断念)。

おむつ替えも相変わらず毎回嫌がり暴れる為、

私の手足で両手両足を使いながら必死の作業。

 

産後ゆっくり休んだ時期が無く

赤ん坊のお世話も

楽になる気配が全く無いまま

時間がたっていきました。

本当にふらふらでした。

 

 

 

印象に残っているエピソードです。

 

エピソード1 

  ある日夕飯時、ゆうに1時間を超えるギャン泣き

    &立ちっぱなしでのゆらゆらだっこ

  余りにも声が大きすぎたのか

  隣の敷地に住む大家さんが訪れるも

  怖くて居留守してしまった(意味不明)。

 

エピソード2

  生後3か月頃から始まる種々の予防接種。

  初めての注射がよほど嫌だったのか

  2回目以降なぜか???接種会場に行く度

  ギャン泣き&私の腕から脱走を試みる。

  赤ん坊といえど、そこそこの力があり

  2,30人ほど並んでいる中での

  順番待ちはまさしく苦行。

  小児医院に行くときも同様で

  生後半年以降はなるべく旦那同伴で行けるよう

  スケジューリング。

  (旦那は基本土曜出勤だったので

   代休は怖ろしく溜まっていた)

 

  とにかく不思議だったのは

  0歳にして

  予防接種や医者(≒注射)を察知する能力があるのなら

  なぜおむつ替えの時じっとせず暴れまわる????。

  危険な目に合うわけじゃなし、

  なぜそっち方面に学習能力が働かない????。

  おむつ替えの際、機嫌よくじっとしていてくれれば

  私の労力も減り、Win-Winじゃないか????。

  

  いくら考えても答えが出るはずのない矛盾が

  当時 私の頭の中をぐるぐる駆け巡っていました。

  

 エピソード3

  ある日高熱を出し、小児医院で点滴を打つことに

  (付き添いは私一人)。

  予防接種でさえ嫌がる長男なのに

  点滴なんて…。

  その日も病院についた時点で

  39度以上の熱にもかかわらず、

  恒例のギャン泣き&脱走体制。

  普通こんなに熱があったら

  ぐったりしてるものじゃないの???

  別室へ案内されて準備が始まるも、

  長男がおとなしくベットで寝ているはずもなく

  案の定暴れまわる。

  仕方がないので私が両腕を押さえている間に

  看護婦さんに針を刺してもらい、

  そのあとは 私が馬乗りになって

  長男を抑えつけながら

  必死でやり過ごすことに。

  恐ろしいことに長男は

  ひたすら泣き続け(叫び続け)、

  点滴の針を外した途端

  熱と泣き疲れのため

  気を失ったように眠り込み

  私は疲労困憊で

  ヘロヘロになって帰路につくことに。

 

 

子育てにはとにかく人手が必要です。

実際、予防接種も病院も

実母同伴のママたちが沢山いました。

長野という土地柄もあるでしょう。

本当に妬ましかった。

関東は

基本ママだけで頑張っている人が多少いたので

精神的にまだマシだったような気がします。

 

 

 

 

 

  

 

  

  

 

  

 

 

  

 

 

 

孤独な育児⑧

当時住んでいた私たちの郷里から

長野は高速を使って

5時間位かかる所でした。

 

主人の支店異動は

就職してから初めてです。

今まで郷里付近での

現場ばかりだったので

なぜよりによって

この時期に…

と私は戸惑いを隠せませんでした。

 

とはいえ

母親を亡くして

ろくに頼れる人もいないこの状況では

どこに住んでいても

たいして変わり映えもないのだし

引っ越しを受け入れるしかありません。

 

 

以前にもお話ししましたが

私の友達で

同じように

ご主人が建設系の会社に

勤めている子がいました。

彼女は出産まで

夫婦で関東に住んでいたのですが

里帰り出産で実家に帰ってから

二度と関東に戻ることなく

ご主人はそのまま

二人(もともと高校の同級生)の実家近辺に

転職してしまいます。

 

それは長男が2歳くらいの時に

聞いた話でしたが

本当に羨ましくて仕方ありませんでした。

 

 

建設関係の仕事は

現場単位で異動するので

家族はなかなか大変です。

転職までは無いにしても

奥さんは実家で子育て、

旦那さんだけ単身赴任という話は

20年前でも

よく聞きました。

因みに私たちはその後

現在の家を建てるまで

6年間

ほぼ毎年引っ越しすることになります。

 

ところで

私たちの長野への異動ですが

これは後から

主人自ら

希望したものであることが判明します。

私と義実家のトラブルを防ぐため

私に相談無く

進めた話だったのです。

距離が離れれば

頻繁に義実家に行く必要は無くなり

私にとっても都合がいいと

思っていたのでしょう。

 

そういうわけで

私は産後2か月足らずの体で

引っ越しの荷造りを始めなければなりませんでした。

 

GW過ぎから長野での生活が始まるとのことで

主人が事前に行って

役所に手続きしたり

アパートを探してきました。

その間は私一人で

子育てと引っ越しの準備です。

たかが1DKの住まいだったので

大した荷物も無いだろうと

たかをくくっていたのですが

段ボール箱はそれなりの量になり

積み上げるもの一苦労。

いかに引っ越しというものが

大変かということを

初めて知ることになりました。

 

引っ越し当日は

さすがに義実家が手伝いに来てくれ

床拭きなどをしてくれて

大変助かったのを覚えています。

 

 

今になって思うのですが

 

私、

 

頑張ってました…。

ちょっと、可哀そうなくらいかも。

 

 

 

でも、私みたいな人は

沢山いるんじゃないでしょうか。

 

たまたま当時の私の周りに

同じような人はいなかったけれど

必ずいるはず。

 

震災の時

母親を亡くした中学生の女の子を

TVで見かけましたが

「この子

 子供が出来たら

 私と同じ目に合うんだなあ」

と 思わずにはいられませんでした。

元気でいてくれるといいのですが。

 

 

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  ・庭の花をリビングのテーブルに飾れたこと

  ・子供が楽器を演奏してくれたこと

  ・セブンでキリマンジャロのアイスコーヒーLサイズを

   飲んだこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独な育児⑦

私たち夫婦は、産後2週間で

主人の現場近くに借りている

賃貸アパートへと戻りました。

 

食事はお弁当、

洗濯や掃除は私がしなくてはいけませんでしたが

義実家にいるときよりは

細切れながら

格段に眠れるようになり

少しずつ

体調が回復していきました。

 

主人がずっと近く(現場)におり’

既に携帯電話も使用していたため

何かあったらすぐに来てくれるという安心感が

心と体に影響したのでしょう。

つくづく義実家を早めに出て

正解だったと実感しました。

 

 

 

 

 

とはいえ

この長男、

なかなか難易度の高い赤ん坊でした。

 

いわゆる布団で寝ないタイプ(あるある)。

寝たと思っても下におろした途端起きてしまいます。

ひたすらだっこや

ハンギングチェアーを

揺らす時間が長くなっていきました。

 

そして

泣く、泣く、泣く、泣く、ずっと泣く…。

いつまでも泣くタイプの赤ん坊でした。

すでにおみつかぶれも始まっており

やはりアトピーなのかと

落ち込んでしまいました。

かゆいのもあって

泣いていたのかもしれません。

 

 

それでも

義実家での育児が

恐怖90% かわいさ10%だとしたら

ここでの育児は

恐怖50% かわいさ50%位には

変化していたと思います。

ただ

出血(産後の悪露)の減る様子が全く無く

いつまでも

めまいが続いていたのは不安でした。

よく育児日誌をつけるお母さんなどいらっしゃいますが

私はそこまでする余裕が

全く無く

ダメな母親だと情けなく思ったりしていました。

 

 

 

今だから笑えるのですが

私はこの頃

おむつ替えの際、

暴れる長男と格闘しながらも

もう数か月もすれば

おむつ替えを理解して

おとなしくするようになるのだと

信じて疑っていませんでした。

5ヶ月もすればサルから人間に変わるのだと。

犬や猫でさえ

決まったところで排泄するじゃないか。

今は大変だけど

もう少しすれば私も楽になるのだと。

 

多分、それこそ母親が生きていれば

  「そんなことはありえない。

   ここから

   さらに地獄が始まるのだ」

と 教えてもらえていたことでしょう(苦笑)。

 

 

 

悪戦苦闘しながらも

2か月の月日が流れます。

 

さわやかな日差しが増えてきた4月末、

長野への転勤の話が舞い込んできました。

 

 

 

 

【今日幸せだったこと】

  空が青くきれいだった。

  中秋の名月が眩しく、美しかった。

  職場の新人さんと仲良くなれたような気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の私

長男出産を振り返ってまいりましたが

余りにも暗い内容が続いているので

現況の報告でもしようかと思います。

 

長男は慶応義塾大学を卒業し、

就職2年目で地方配属中。

田舎気質の優しい方々に

色々助けて頂いているみたいで

親としては感謝しきりなのですが

本人なかなか苦悩している模様です。

 

また次男は地方国立大工学部に在籍中。

(国立工学部は生徒数が少ないため学校名は伏せます)

一人暮らしをしていましたが

コロナのため実家率高めです。

(今は夏休み中)

 

主人は長男が中学1年生の春から

自ら希望して海外に7年間単身赴任。

その後も国内で地方配属4年目。

別居生活11年目。

 

よって現在、私は次男と二人暮らし。

私一人の時もあり。

 

 

私と子供たちのアトピー

長年の懸案事項でしたが

何度かお話しした通り

新しいデュピクセントという薬で

完全に解消。

去年からノースリーブの服を着て

夏を満喫しています。

製薬会社の方々には、

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

子供たちのアトピー

決して軽いとは言えないものだったので

嫌な目にあうことが

多々ありましたが

きちんと学校に

通ってくれたことは

本当にありがたかったです。

二人とも

部活ヒエラルキーの高い運動部に

所属していたのが

よかったのかもしれません。

 

 

 

多分、

現時点での私は

幸せなのだと思います。

実際ママ友に

そう言われることが

増えてきました。

 

 

この歳になると

確かに皆

色々なトラブルが起きています。

殆ど子供のことです。

大学や専門学校に入るまでは

そうでもないのですが

そこから

  留年 

  引きこもり

  退学

  就職できず

  退職

うちの子だって

これからどうなるのか分からないので

他人事ではありません。

(実際長男も去年 一時期

 かなり参っていた時期がありました)

 

 

 

 

…私は嫌な人間です。

 

子供のトラブルを抱えて

参ってしまっている

ママ友にも

不遜な事とは思いながらも

 

 今まで辛い思いをしたことがないんだから

 仕方ないよね。

 禍福は糾える縄の如し。”

 

などと思ってしまっている自分がいるのです。

 

皆、今も母親(両親)が存命。

盆も正月も帰省し

大変な時には助けてもらい

夫に対しても後ろ盾になってくれる。

子供も健康。

本人たちはバブル世代。

(私は就活する年からバブル崩壊)。

 

今となっては

羨ましがられること自体居心地悪く

自分の意地の悪さにも嫌気がして

 

私はママ友たちと距離をおきはじめました。

 

今は少し離れた場所で

派遣の仕事をやっております。