母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

初めての転勤~長男0歳

長野の生活で

まず思い浮かぶのは

 

高く青く澄んだ夏の空と

深夜暗闇の中浮かぶTV画面

エンドレス ”おかあさんといっしょ”(録画)でしょうか。

 

 

長男は

泣く、暴れる、寝ない

三拍子そろった赤ん坊でした。

 

昼も夜もぐっすり眠ることはなく

寝ているように見えている時間も

途中アトピーのせいで

顔や頭を掻くので

手をはがしたりトントンしたりしなければなりません。

夜泣きの時はひたすら

立ってゆらゆらだっこ。

覚醒してしまったときは

撮りためておいた

おかあさんといっしょ

何回も何回も見せました。

私は傍らで長男が危ないことをしないかと

薄目を開け、確認し続けます。

寝ているのか寝ていないのか

自分でもわからない毎日が続いていました。

 

とにかくじっとすることが無く

常にほぼ動いている赤ん坊で

買い物時に使う赤ちゃん用カートでは

前に向かってよじ登ろうとする、

調理中など台所に入らないよう

ガード柵を立てかければ

やはり登ろうとして倒してしまう

(かえって危ないので使用断念)。

おむつ替えも相変わらず毎回嫌がり暴れる為、

私の手足で両手両足を使いながら必死の作業。

 

産後ゆっくり休んだ時期が無く

赤ん坊のお世話も

楽になる気配が全く無いまま

時間がたっていきました。

本当にふらふらでした。

 

 

 

印象に残っているエピソードです。

 

エピソード1 

  ある日夕飯時、ゆうに1時間を超えるギャン泣き

    &立ちっぱなしでのゆらゆらだっこ

  余りにも声が大きすぎたのか

  隣の敷地に住む大家さんが訪れるも

  怖くて居留守してしまった(意味不明)。

 

エピソード2

  生後3か月頃から始まる種々の予防接種。

  初めての注射がよほど嫌だったのか

  2回目以降なぜか???接種会場に行く度

  ギャン泣き&私の腕から脱走を試みる。

  赤ん坊といえど、そこそこの力があり

  2,30人ほど並んでいる中での

  順番待ちはまさしく苦行。

  小児医院に行くときも同様で

  生後半年以降はなるべく旦那同伴で行けるよう

  スケジューリング。

  (旦那は基本土曜出勤だったので

   代休は怖ろしく溜まっていた)

 

  とにかく不思議だったのは

  0歳にして

  予防接種や医者(≒注射)を察知する能力があるのなら

  なぜおむつ替えの時じっとせず暴れまわる????。

  危険な目に合うわけじゃなし、

  なぜそっち方面に学習能力が働かない????。

  おむつ替えの際、機嫌よくじっとしていてくれれば

  私の労力も減り、Win-Winじゃないか????。

  

  いくら考えても答えが出るはずのない矛盾が

  当時 私の頭の中をぐるぐる駆け巡っていました。

  

 エピソード3

  ある日高熱を出し、小児医院で点滴を打つことに

  (付き添いは私一人)。

  予防接種でさえ嫌がる長男なのに

  点滴なんて…。

  その日も病院についた時点で

  39度以上の熱にもかかわらず、

  恒例のギャン泣き&脱走体制。

  普通こんなに熱があったら

  ぐったりしてるものじゃないの???

  別室へ案内されて準備が始まるも、

  長男がおとなしくベットで寝ているはずもなく

  案の定暴れまわる。

  仕方がないので私が両腕を押さえている間に

  看護婦さんに針を刺してもらい、

  そのあとは 私が馬乗りになって

  長男を抑えつけながら

  必死でやり過ごすことに。

  恐ろしいことに長男は

  ひたすら泣き続け(叫び続け)、

  点滴の針を外した途端

  熱と泣き疲れのため

  気を失ったように眠り込み

  私は疲労困憊で

  ヘロヘロになって帰路につくことに。

 

 

子育てにはとにかく人手が必要です。

実際、予防接種も病院も

実母同伴のママたちが沢山いました。

長野という土地柄もあるでしょう。

本当に妬ましかった。

関東は

基本ママだけで頑張っている人が多少いたので

精神的にまだマシだったような気がします。