母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

結婚前からの友達

 正直、全員と音信不通になりました。

 

 

 原因は、私の心の狭さです。

 長男の出産後2年くらいまでは、学生時代や会社の友達と連絡を取っていましたが

友人との交流自体が私を苦しめるものとなっていきました。

 

 私は、割と人見知りしない性格だと思います。

 田舎のトップ高に進学し、地元国立大から隣県のメーカーに就職。

 友達も割とすぐできるタイプです。(表面上は今でもそうかもしれません)

 大学では美人で目立つ友人がいるグループにいたおかげで

楽しい経験もたくさんできました。

 新卒で就職した会社でも、素敵な同期たちに恵まれ有意義な時間を過ごしました。

 

 

 

 私が友人と疎遠になり始めたのは

 やはり長男を出産してからです。

 

 母が亡くなった後 友人と接するのが辛い気持ちはありましたが、

まだ関係を継続することはできていました。

 ただ正直この時点でさえ、健勝な母親を持つ友人たちを羨んでモヤモヤした気持ちがあったことは否めず いつも心に重い鉛が埋まっているようでした。

 

 長男が生まれたのは母が亡くなってから3年後です。

 学生時代から付き合っていた人と結婚しました。

 

 私が長男を出産した時点で 出産を経験していた友人は

  学生時代の友達 1人。

  会社の友人   3人。

     (とはいえこの後 芋づる式に6,7人ほど結婚、出産する)

  この状況は、否応なく自分の境遇を思い知らされることとなります。

  友達と近況報告していても 落ち込むことがほとんどで 

別れたり、電話を切った後は すさまじい孤独感に襲われました。

 

 

 ある友人(先輩ママ)に愚痴を言った後、

 「でもあなたは母親なんだから!。頑張るしかない!」

 と説教されたことがありましたが

 その友人は 毎年お盆 年末年始2週間以上 

 ある時は2か月以上実家に帰っていました。

 

  ある友人は ご主人が 私の旦那と同じ建設業。 

 妊娠時は関東が現場だったため 夫婦でそちらに住んでいましたが、

 出産予定日半年前から里帰りし、出産した後もそのまま実家に居続け

 関東に一度も戻ることもないまま ご主人を地元に転職させてしまいました。

 理由は

「建設業は転勤が多く 勤務時間も長く 休みもないから 子育てできない。 

 実家の助けを借りたいから 実家の親が転職を勧めたから」

 転職先は 全く畑違いの 製薬会社の営業とのこと。 

 …私はほぼ毎年乳飲み子抱えて 引っ越ししていましたけど?。

 私の周りの 家族(実親も含めて) 

 子育ては 遊びだとしか認識されていませんけど?。

 

 子育てを 夫婦だけでやっている人なんて

 少なくとも私の周りでは皆無でした。

 というか 不可能。

 よほどご主人が 定時勤務 かつ 協力的 でなければ無理。

 夫婦だけ、母親だけ、父親だけ、他にも色んなパターンがあるかもしれませんが

 人手がない子育ては 本当に孤独で 体力的にも精神的にも 重労働です。

 

 

 

 母親が生きているというだけで こんなに違うなんて。

 

 私は 子供が二人ともアトピー

 夜もゆっくり眠れない日々が続いていて

   (下の子が 一人部屋になるまで10年ほど)

 長男は 抱っこしていないと ずっと泣く子で 生まれてから1年

 昼ご飯は 片手で 抱っこしながら 食べる状態で。

 男の子だったせいなのか どこにいっても 走り回り 

 のちに 次男が加わったことで さらに日々 戦々恐々。

 正直 記憶も おぼろげですが

 眠いのと疲れで気を失いそうになりながら横たわり 

 勝手に涙が流れ落ちてくるという状態の中

 息子が危ないことをしないか 薄目で ぼんやりと見ていた記憶があります。 

 本当に 毎日フラフラで 育児日記(今なら You tubeとか ブログ?)を

 つけることができる人がいるなんてことが 信じられませんでした。

 因みに 私は長男の出産後 悪露が半年続き(次男は3か月) 

 かなりの貧血気味であったことを 追記します。

 

 

 そして全員と音信不通になりました。

 

 その時点で 独身の友人もいましたが、

 話が合わなかったり 旦那の毎年の転勤で 疎遠になっていきました。

(当時は携帯が余り普及していなかったのも 要因の一つでしょう)。