母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

婿取り義母⑥長男出産~48時間の戦い

木曜夜に入院した私は、一睡もせずに朝を迎えることになりました。

翌日金曜 主人が仕事を休んで朝から病院に付き添ってくれました。

私は午後を過ぎたあたりから、

痛みが増していき 出血も増えていきます。

ただ想像と違っていたのは 陣痛の間隔が全く無く

 

ひたすら痛い。

 

下腹部の深部をペンチでひねった上に 強い力でぎゅっと引っ張られるような感覚で、

横になることも出来ず ぶるぶる震えながら丸まって 

重ねた布団に突っ伏しながら ひたすら痛みに耐えるのです。

 

しかし金曜の夜になっても 子宮口は全く開かず 

土曜の朝を迎えることになってしまいます。

 

主人は二日も休むわけにはいかないと、出社してしまいました

(建設現場は土曜休日出勤多いです)。

代わりに義母が休みだったため付き添うことになり

二人きりで一日すごすことになりました(義実家で話し合い。私は口出しできず)。

 

土曜日になると

二日徹夜ということもあり 意識が朦朧としています。

丸一日痛みで食事もとれない状況だったにもかかわらず

なぜか嘔吐を繰り返すようになり

吐く際の体の振動までもが 陣痛を増幅させ 

汗と涙で顔はぐちゃぐちゃの状態でした。

1ミリも動きたくない。痛い。痛い。痛い。

 

義母は うずくまってじっとしている私に向かって

「私のほうが 痛くてのたうち回っていた。」

と 言い放ちます。

私は微動だにするのも辛いのに

のたうち回ることが出来るのなら

上等だろう!!!。

義母のセリフの理不尽さに納得がいきませんでした。

 

時間を持て余し

そばに置かれていた育児雑誌を読んでいたかと思うと

「ほら ここに 陣痛の時痛いって言うと ますます痛くなるって書いてある

 痛いって言ったらあかん」

などと 私に見せびらかしたりします。

 

「こんなに時間がかかるなんて

お産の前にもっと 体を動かさなかったからだ」

嫌われる姑お決まりのセリフも 浴びました。

 

 

母親がそばについていてくれたなら

出血で汚れた生理用品や下着などの交換も

カーテンをしきって 病室で行うことも出来たであろうに

激痛をこらえて車いすでトイレに行かなければなりません。

女性だというだけで 義母が付き添ってくれている意味がどこにあるのか。

 

 

 

母親が生きていてくれたら

母親が生きていてくれたら

 

そう思わずにはいられません。

 

 

木曜に入院して土曜にかかるお産になっているのに

私の体を心配してくれている人などいないのです。

お産は 病気ではない。

ただただ 孫が産まれてくるというイベントです。

 

土曜16:00くらい 17:00くらいになって

義母といるのがどうにも耐えられず

(実母不在の惨めさを否応なく感じさせられる)

夫に来てほしい、電話(携帯)を掛けてほしいと何回も頼むのですが

義母は

「男は仕事が1番や

 早退なんてさせれん」

と 拒否するのでした。

 

主人が病院に来るのは 20:00過ぎ。

こんな時間になっても 長男は 出てきてくれませんでした。

入院して48時間を超えようとしていました。

 

 

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