母親がいない母親が子育て終了~アラフィフ回顧録

頼れる人がいない結婚生活は大変でした

三度目の転勤~長男2歳

やっとつわりが治まりはじめた3月、

長男は2歳になりました。

当日は二人きりだったのでしょうか。

それとも週末にずらして

主人と3人で何かしたのか。

お祝いをしなかったはずはないのですが

正直、記憶がありません。

 

昨今、記録に残すことが容易な時代になり

You Tubeの赤ちゃん動画などを見たりすると

切ない気持ちになったりもしますが、

(楽しく育児が出来なかったという後悔と懺悔の気持ち)

かといって 今また同じ状況になったとしても

まめに記録に残せるような

精神的、体力的余裕は

やはり無かったと思います。

最良の育児ではなかったけれど

最善の育児はしたつもり…

そう自分に言い聞かせ

無理やり納得させるのでした。

 

 

 

長男2歳の誕生日から暫くして、

なんと

主人から3度目の転勤を言い渡されました。

今度はエリアも変わって

関東への異動でした。

 

 

 

は?。

 

 

 

暫くしたら富山の現場が始まって

一緒に住むんじゃなかったの???。

何のために約半年

私と長男は二人きりでここに住んでいたの?。

 

 

以前 産後2か月で引っ越しをしたけれど

今度は妊娠4か月で引っ越し???。

また重い荷物を動かす作業を

ほぼ一人でしなくてはいけないの???。

 

また知らない土地で

産婦人科の病院どうするの?????。

私や子供のアトピーの病院も

また探さなくちゃいけないじゃん!!!。

(何度も言いますが、当時はそれほど

 インターネットが普及していない)

 

 

 

結婚するまで約5年、

ずっと地元で働いていたのに

結婚して出産した途端、

なんでこんなに毎年毎年

引っ越ししなくちゃ

いけないの????。

 

 

多分当時も主人には、たくさんの文句を言ったと思います。

バブルがはじけて7年くらい経ったころでしたが

いよいよ地方の現場が減ってきて

全国の社員が関東に異動しているんだと

説明されました。

 

 

私に何か

選択肢があるわけでもありません。

 

仕方なく、引っ越しの準備を始めます。

今度は社員(家族)寮があるエリアで

アパート選びをしなくて良かったのだけは

幸いでした。

(因みに今現在住んでいる場所も

 同じ最寄り駅の範囲となります。)

 

 

 

時期は確か3月末か4月頭、

異動はGWが普通なのに、少し早い時期でした。

長岡へ向かう特急を待つ間、

(長岡から新幹線乗り換え。

 まだ北陸新幹線は開通していなかった)

長男が寒くないよう厚めの服を着せていたのを覚えています。

 

 

 

いよいよ関東での生活が始まります。

 

 

 

【今日幸せだったこと】

 ・【今日幸せだったこと】についてコメントを頂いた。

 ・気分を上げるため庭に植える赤い花を買った。

 ・次男の夏休みが昨日で終了

  (とはいえ10月中はオンライン)。